2021.08.24
世界一やさしい 「経営戦略」立案講座 第九章
戦略家が世の中のビジネスを制す
私が戦略家になろうと思ったワケ
最終章では、私が今の仕事を選んだ経緯をお話しするとともに、今後の企業戦略に対する取り組みを述べたいと思います。
冒頭でも述べましたが、就職したときの私の学歴は高卒です。高校時代の偏差値は40前半、大学にも進学せず、卒業後は空手日本一を目指して就職さえしませんでした。この本の核である経営戦略の世界とはまったく関係のない日々を過ごしていたわけです。
しかし究めようと決意した空手も、素質のなさを実感して20歳で挫折。20代前半は就職もせず、アルバイトをする日々でした。
ようやくCM制作会社に就職したのは、20代後半に差し掛かった頃でした。
30代まではCM制作を始めとする広告プロデューサーとして働いていましたが、2005年に「テレビCM崩壊~マス広告の終焉と動き始めたマーケティング2.0」という翻訳本を読み、強烈な危機感を覚えました。テレビCM制作の売り上げに頼っている状況では、そのうち仕事がなくなると感じたのです。
その本には当時急速に発展してきたインターネットが、CMなどの広告を駆逐していくという内容が書かれており、私の勤めていた会社だけでなく、広告業界全体にネガティブな話題として取り上げられていました。こうした危機感に急き立てられるように、2007年に海外で開催された1週間のマーケティングセミナーに参加したのです。
当時は、マーケティングといっても販売のための広告なのか、あるいは市場調査なのかはっきりと区別できませんでした。ただ、マーケティングは広告を包括する活動だという認識があり、広告の位置づけを再確認しようと考えていた程度でした。ところが、このマーケティングセミナーで大きなヒントを得ることになるのです。
講師は世界的に有名なマーケターで、講義スタイルも独特でした。講師の話を聞くだけの聴講形式でなく、企業の経営者が壇上に上がって課題を定義し、マーケターが解決するというワーク形式です。受講者は、自社の課題だけに専念するわけにはいかず、他社のマーケティング戦略を考えなければなりません。これほど疲弊した経験はありませんでした。
ただ、企業の課題を聞き、マーケターの解決方法を学ぶうちに、自社の今後の戦略の大枠を組み立てることができたのです。
今では広告業界の常識になっていますが、PR、CM、WEBコンテンツ、イベントなどを個々に展開するのではなく、すべてを有機的に結合するという「コミュニケーションデザイン」という手法です。広告を打つだけの単発的な手段よりもシナジー効果が得やすく、例えばCMの反響は高くなるはずだと考えました。
早速自社に戻り、すべての事業部を統合するためのスキームを考え、統合ソリューションを開発しました。これにより、各事業が個別に営業しなくても、営業チームが動くことでさまざまな広告プロダクトを受注できるようになりました。
売り上げも劇的に改善したのですが、半面、新たな問題も見えてきました。
広告活動の効果が一次的に現れても、顧客企業の製品・サービスの質や、マネジメント(組織や財務など)の問題により、長期的にメリットを生む機会が損なわれるケースが頻発したのです。
いくら広告戦略が良くても、モノが売れなくてはサービスを提供する意味はありません。そこでもう一度、マーケティング戦略の手法、さらにはもっと高度な考え方を学び、自社のサービスを見直そうと考えたのです。
2008年、経営を一から学ぶためMBAスクールに入学しました。海外のビジネススクールの日本ブランチで、履修は土曜日のみ。しかし毎週たくさんの課題が出されるため、平日は、深夜帰宅してから猛勉強です。就寝するのは朝4時~5時ごろになるのも珍しくありませんでした。
ところが同年9月、世界経済に大きな打撃を与えたリーマン・ショックが起こり、翌年から、その余波が自社に影を落とし始めます。それまで会社は順調に成長を続けており、株式上場の準備に入っていた矢先、2009年に売り上げが急降下したのです。
不景気になると真っ先に縮小されるのが広告です。業界全体に暗雲が垂れ込め、多くの同業が倒産しました。私は立て直しのため懸命に働きましたが、不景気下での広告業界はあまりにも脆いと実感しました。生き残るには、根本的な施策が必要だということを思い知らされたのです。
しかし、不景気の切迫感とMBAの勉強からひとつの解決策を見出しました。
それが、戦略コンサルティングと広告会社の融合です。勝つための戦略と実行に移す戦術を一本化することで企業が活性化するのでなないかと考えたのです。まず、基礎的な戦略スキームを開発し、経営戦略を立てる。次に、その戦略を実行するためのプロダクト(WEBやCM、リクルート映像、イベント、販促ツール、社内ツールなど)制作を行うのです。
戦いに例えると、プロダクトは武器のようなものです。これまでのような広告制作は、人と人をつなぐコミュニケーションデザインとして受け継がれ、マーケティング戦略、経営戦略として、包括的なサービスへと変貌していくはずです。
2010年、経済がリーマン・ショックの衝撃から立ち直れない中、私はMBAを修了しました。そして温めてきたサービスをテストするため、当時の社長に相談したのです。ところが、社長は私の提案をまったく理解してくれませんでした。社長はもともとCMなどエンターテイメント性のあるものを好み、経営戦略に嫌悪感があるようでした。
少なからず賛同してくれる社員もいましたが、現場のクリエーターたちからは「コンサル会社になるのは嫌だ」と猛反発を受けました。売り上げの下落は一向におさまらない、新たなサービスも受け入れられないという八方ふさがりです。同時期、売上不振から自社の将来に不安を感じる社員の多くが退職していきました。
一般的には、事業を縮小して原点回帰を図るのですが、市場そのものが狭まる中では余裕のある会社しか生き残れないでしょう。
私は独立を決意しました。会社を辞めるにあたっては、一部の社員と顧客が私につくことを想定して、会社側に「事業譲渡」という金銭的な解決を提案しました。つまり会社の事業の一部を買い取るということです。顧客や社員は会社の資産の一部ですから、もし私が勝手に連れて行くと不正競争防止法に抵触するおそれがあありました。
2012年、ついてきてくれたわずか2名の社員とともに、ストラテジックパートナーズ株式会社を創業しました。資本金のほとんどは事業譲渡資金に消えてしまいジリ貧でしたが、こうして、日本初となる「広告会社とコンサルティング会社を融合した企業」が誕生したのです。
現在、当社は上場会社から中小企業まで、多くの企業の戦略サポートを担っています。思い起こせば2005年、「テレビCM崩壊」という本との出合いが今につながっています。この本を読んだ衝撃をきっかけにさまざまな勉強を積み、多くの気づきや出会いを重ね、新たなスキームやサービスの開発を繰り返しています。
私は著名な経営者でも成功者でもなく、名だたるコンサルティング会社出身でもありません。40代後半になってやっと起業できた程度の私に、企業戦略を論じる資格があるのだろうかと不安にもなります。
しかしひとつだけ誇れることがあるとすれば、CM制作というマーケティングの「端っこ」でずっと経営戦略を見てきたことだと思います。CM制作会社にいた頃はまさに「井の中の蛙、大海を知らず」でした。大手企業のCM制作を手掛けたり、国際広告賞をいただいたりする機会はありましたが、小さな達成感を満たすにすぎませんでした。
それでも、「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」という見方もあります。これは数年前、知人である詩人が教えてくれた言葉で、「小さな場所にいてもその世界の一端は分かる」という意味だと捉えています。CM制作に携わったからこそ経営戦略の素晴らしさを知ることもできましたし、同時に経営戦略の世界にある「違和感」に気づくこともできたのだと、自負しています。
なぜ、戦略家という仕事がないのだろう
現在「戦略家」という仕事はありません。中国後漢末期から三国時代に名をとどろかせた諸葛孔明しかり、戦国時代に武田信玄の軍師として仕えた山本勘助しかり、歴史上には「戦略家」が力を発揮していたのです。現代はビジネス戦争がひっきりなしに繰り返される時代です。だからこそ、ビジネスをサポートする戦略家が必要になるのではないでしょうか。
コンサルタント=戦略家と考えることもできますが、企業をサポートするコンサルタントと戦略家は異なります。コンサルタントは、クライアントの経営上の課題を解決し、クライアントの売り上げをいかにあげるかの戦略を考えるのが仕事です。一方戦略家は、勝つための策、つまり戦略のみならず戦術までを考え抜きます。
私は、今も格闘技をやっていますが、この世界を格闘技に例えるなら「総合格闘技」ではないかと思うのです。ボクシングや、柔道は、限定的なルールが存在します。しかし、いざ実践の場になったらルールなんかはありません。いくらボクシングの世界チャンピオンになったからとって、寝技に持ち込まれたら負ける可能性があるのです。
そのような意味でも、コンサルタントは戦術を知らないし、広告クリエーターは戦略を知らない。その点、ストラテジストは、総合的な能力が必要になるわけです。
ただ、「総合格闘技」も、各選手の出身格闘技を存分に活かし、闘いに臨んで勝利を掴んでいます。私自身も映像制作の出身ということもあり、戦略上の課題を映像制作で解決したことが実に多くあります。
今後は、コンサルタントや広告クリエーター、経営経験者等、様々なフィールドで活躍したヒトが、自分の力試しに、経営戦略のリングに上がってきて、その力を存分に発揮するのではないかと私は予想しています。
父が教えてくれた戦略家の使命
少し脱線しますが、戦略家の役割を考えるうえで私の父の話をしましょう。
今から30数年前、私の父は、脱サラをして鉄工所を経営していました。当時の鉄工所はどこも忙しく、父の鉄工所はビルや住宅のベランダ、階段などの製作で儲けていました。経営も順調で、私の家も次第に裕福になっていきました。
しかし、時代が進むにつれ、大手建材メーカーがこうした備品を工場で大量生産するようになりました。町の小さな鉄工所には、大量生産で安く作られた製品に太刀打ちする術はありません。こうして多くの鉄工所が町から姿を消していったのです。
父の鉄工所も例外ではなく、たちまち経営不振に陥りました。
さまざまな手立てを打って再建を図った父でしたが、無理がたたって胃がんを患い、46歳の若さで亡くなりました。私は16歳、高校入学間もないころでした。父親の鉄工所を継ごうと工業系の高校に入学したのですが、その鉄工所も間もなく閉鎖され、その願いも叶わぬままとなりました。
「経営不振は人の命をも左右する」。これは、私が父の死から学んだものです。父のように、経営の心労から命を落とすほどの病気にかかってしまう経営者も少なくないと想像します。
私は25歳で広告の世界に入り、紆余曲折を経て経営戦略を仕事としています。父親を救いたかった気持ちが、無意識にこの仕事を選ばせたのか、それとも父が導いたのか。確証はありませんが、父の死と無関係とは言い切れません。
今、経営者は多様な課題を抱えています。その課題を解決することが、社会を良くすることだと私は信じています。顧客企業の経営者に父の姿を重ねてついつい熱くなってしまうのですが、私の根本にあるのは「どの企業も絶対、負けさせない」という思いです。これが戦略家の使命だと思っています。